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彼岸法要

 春の彼岸法要では、3月2日の定例法座でも話した内容の延長でした。昨年の終り頃より菱木政晴氏の考えに共鳴し、「新しい真宗」ということを考えてきました。近代教学というものになぜかいまひとつ満足できずにいたのですが、たまたま菱木政晴氏の論文「真宗伝統教学再考―高木顕明の還相回向論のルーツを求めて―」(『同朋仏教』53号)を読んで、大いに啓発されたものです。そこで以前購入していたけどほとんど積ん読だった氏の著書を改めて読んだことです。

 前からぼんやりしていた還相廻向のことが随分はっきりしてきたように思います。我々の学んできた近代教学では自力無効が強調されるあまり、衆生の側からの働きかけがすべて自力と見なされて、単純なボランティア活動ですら親鸞の教えに反しているのではないか、という受け止める人もいたようでした。そのために「ただ念仏のみぞまことにておわします」という親鸞の言葉の通りに、それ以外の行為をすべて否定する傾向をもっていることに対して持っていた疑念が、それほど的外れではなかったのだと思いました。

 その疑念とは、現生に正定聚不退転の位につく、補処の弥勒に同じ、とまで言われる信心の行者が、現世において慈悲心のかけらも表現しない・できないということはあり得ないのではないかということです。たとえば妙好人の話があってもそれは特別な人たちの話であって、今現に聞法に励んでいる凡夫が人助けをすることなどを、自力の善根と揶揄するような風潮がありました。それについても氏の文章を読んで、改めて自分の疑念がはっきりしたようなことですが、なぜ私たちは助けられるだけの存在なのか、それで良いのだろうかということでした。同朋会運動が60年も続いたにもかかわらず、少しも拡がりがないという現実がそれを示していました。

 もちろん社会活動・慈善運動をしなければならないなどと言うのではありません。自分たちの言動の上に仏教や浄土真宗の香りがしないことが問題なのでした。なぜか良いことをするのに仏教徒や真宗信者であることを遠慮して隠しているような心の姿勢に疑問を持ったことです。称名念仏のみがまことであることは確かなことですが、それが指し示す相(すがた)はとても大きな内容を持つものでしょう。そこに、香月院深励の「回向は如来にあり、往相・還相は衆生にあり」という言葉は、本当に目の覚めるような思いで読みました。如来の回向は衆生の往相と還相という姿になって現れるということが、わたしにとってどれだけ励みになったことでしょうか。

 そういう思いをもってここ10数年の動きを見ると、既に近代教学に対して反旗を翻すような言動が多々あったことも見えてきました。ますます「新しい真宗」を考える元気が出てきたことに喜びを感じている次第です。(前住)



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