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執筆者の写真前住職

報恩講のこと

報恩講では長野量一先生のお話は優しい内容で、いつもながら有難いものでした。毎年同じ御講師のお話を聞くことで、その方の生きている世界を少しずつ理解できるように思います。私(住職・藤ノ原惠行)は長野量一先生の話される世界が好きなのです。だからどんな内容のお話でも有難いのです。生きておられる世界が、すべての言葉の端々から感じることができるからです。だからお話しの間に眠ってしまってもかまわないのです。阿那律(アヌルッダ)は、釈尊説法の座にありながらついウトウトと居眠りをしてしまったので、釈尊の前では決して眼を閉じまいと誓い、そのためについには眼を痛めて視力を失ったのですが、天眼第一と讃えられるまでになりました。出家の修行の過酷さを物語るものですが、阿弥陀如来は私たち凡夫にこのような修行を要求されません。ただ、南無阿弥陀仏と称えることのみが教えられます。称えられた念仏を私が聞くということが一番大切なのでしょう。そこに見えてくる「生きる世界」の共有、これが宗教なのだと思っています。

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