国境なき医師団
- 前住職

- 11月19日
- 読了時間: 5分
毎週のように寄付の要請が来ますが、唯一私が必ず内容を確認し、できる限り応えてようとしているのは「国境なき医師団」の活動です。
先日、アフガニスタン地震での活動報告や資金のお願いなどが寄せられたのですが、同封されていた看護師・白川優子さんの文章が切なくて、失礼かとも思いつつご紹介します。
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皆さまこんにちは、看護師の白川優子です。2024年11月、国境なき医師団(MSF)での19回目の派遣に行ってきました。場所はイスラエル軍からの激しい空爆によって、市民の生活が一変してしまったレバノンです。派遣された病院は高台に位置し、首都ベイルートの市街が一望できました。空と海、そして無数の白い建物が立ち並ぶ美しい風景のなかで、いくつもの爆心地から破片物が吹き飛んでいました。一つ、そしてまた一つ、爆弾が落ちてくるたびに地の底から突き上げられるような衝撃を全身で受け止めながら、私たちは目の前の患者さんの治療を続けていました。
紛争地で働くとき、空爆の振動も銃撃の音も私は怖くありません。怖いのは、その空爆や銃撃で被害に遭った患者さんたちを目の当たりにした時です。手から足から、腹部から、頭部から、顔面から血液がしたたり、骨が砕け、裂けたお腹から内臓が飛び出しています。私たちと同じ人間をこんな姿にしてしまうなんて、戦争とはなんて恐ろしく愚かな行為なのだと毎度のことながら立ちすくんでしまいます。私たち外科チームは患者さんの身体に突き刺さった破片の一つ一つを取り除き、お腹の中の銃弾を取り出し、損傷した内臓を修復し、砕け散り突き出した骨を固定して、潰れてしまった手足の切断を行います。
小さな時からMSFの活動に憧れ続けてきた私は、入団して今年で15年目になりました。人道支援とは、へき地や難民キャンプでの活動がメインだとずっと思い込んでいました。ところが、いざ入団してみると声がかかるのは紛争地ばかりでした。テレビで見た栄養失調の子どもの姿が目に焼き付いていたせいか、紛争地も活動現場に含まれるとは当時の私にとっては想定外のことでしたが、紛争地こそ医療が足りていない場所の一つだということはすぐに理解できました。尊敬し、長年追い続けてきたMSFで働ける喜びは何にも代えがたいものがありました。現地に行けば必ず救える命があり、患者さんが取り戻した笑顔に癒やされ、やりがいを真に感じることができます。
ですが、紛争地の医療活動とは、虚しさとやるせなさ、抑えられない怒りとの戦いでもありました。シリア、イエメン、パレスチナ、アフガニスタン、南スーダン、イラク、世界のどの紛争地に行こうとも、戦争はその時の出来事だけではなく、そこで暮らす市民の未来ごと破壊していることが見えてきます。ニュースに映ることのない戦争の末端の現実のなかで、私は時々、手術をした患者さんがこのまま麻酔から覚めない方が幸せなのではないかと思ってしまうことがあります。目を覚ましたその時から、現実と戦わなくてはならないからです。
2017年にイラクに派遣された時のことです。過激派組織、イスラム国と多国籍軍との戦争に巻き込まれ、MSFの病院に運ばれてきたある女性は一命を取り留めました。ところが彼女は私の手をつかんで「死なせて」と訴えてきたのです。旦那さんと子どもが亡くなり、自分だけが助かったことを知ってしまったからです。そんな彼女自身も片足を失っていました。破壊行為でしかない戦争を、人はなぜ続けるのか、いくら考えても、何年たっても分かりません。血まみれの患者さんたちの手を握りながら、「なぜ」「どうして」と、私は心が潰されそうになるのです。
そのたびに立ち止まって思いだすのは、私は一人で活動をしているわけではないということです。多くの支援者の皆さまが日本で見守ってくれていることを知っています。いただく活動資金には皆さまの心からの想いが込められているのを私は感じています。そして勝手ながら、私が現場で直面する苦しみやジレンマも、皆さまには分かってもらえる、そして温かく受け止めてくれているのではないかと思っているのです。そう思うことで、私には「次の命と向き合おう」という力が湧いてくるのです。
「なぜ紛争地に行くのですか?」。これは、何度も聞かれてきた質問です。いつも言葉でうまく表せないのですが、この手紙を書くいま、心を占めているのはレバノンの病院のベランダに立つ病院長と看護部長のうしろ姿です。自分たちの街、自分たちが守るべき市民の命が、病院の目の前で破壊されていく様子を黙って見つめていました。二人の背中からは、悲しみや怒りを超えた絶望感が伝わってきて、私はその場で心が引き裂かれてしまいました。轟音と振動の中、それでも医療活動を続けている現地の医師や看護師の姿を世界の誰が知り得るかと思うと、私は何もせずにはいられなくなるのです。
ガザやスーダンのような長引く紛争に加え、コンゴ民主共和国や南スーダンでも紛争が激化しています。じきにまた私にも声がかかるでしょう。そして私は一人ではないと改めて思います。皆さまからの活動資金は薬となり、医療物資となって世界各地に運ばれます。私はそれを現地で受け取り、それを必要としている人びとに必ず届けます。世界のどこかで人道危機が起きている限り、私は皆さまの想いと一緒に活動をしていきたいと思っています。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
2025年10月
(手書文字)「現場では いつも皆さまの想いに 支えられています。」 国境なき医師団 看護師 白川優子
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