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国境なき医師団 Ⅱ

更新日:23 時間前

11月の御正忌報恩講では、長野量一先生はやさしい言葉で本当に仏教の真髄をお話していただきました。もっと多くの方に聞いていただけたらと願うばかりです。



 今回は、国境なき医師団日本の会長の中嶋優子さんの報告を記載します

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 国境なき医師団(MSF)日本の会長で、救急医・麻酔科医の中嶋優子と申します。皆さま、温かなご支援をどうもありがとうございます。


 2023年12月、ガザでの即時停戦を訴えたMSFの記者会見をご記憶でしょうか? 私は紛争が始まって1ヶ月ほどたったガザで活動し、その惨状を記者会見や講演会などでお伝えしてきました。


 ガザで出会った、忘れられない患者さんについてお話しさせてください。彼女は自宅が空爆されて夫と子どもをいっぺんに失い、自身も背骨がいくつも折れてしまっていました。そして、医師でした。自分がとれだけ重症なのか、予後がどうなるか、全てわかっていたはずです。それでも、自分の身に起きたことを淡々と話してくれました。医学部に進み、厳しい研修を受けてようやく医師となり、患者さんと向き合う日々を過ごしてきた彼女と私は、いわば同志みたいな存在です。「生まれたところが違うだけで、私が彼女だったかもしれない」と想像すると、あまりにも凄惨な現実に胸が張り裂けそうになりました。


 ガザでは、すでに抗生物質や鎮痛剤が不足し、治療しても患者さんには苦痛が残る、食事もない、安全な場所がどこにもない、と全てが過酷な状況でした。何よりも患者さんが復帰する「社会」が壊れてしまっているということがつらかったです。救急医は急性期を安定させて次につなげるのが使命です。でも、ガザでは「命をつなげた“その先”はあるのか?」と考えずにはいられない。レベルの違う絶望感に襲われました。それは、これまでの海外派遣では経験したことのない衝撃でした。活動を終えて日常の生活に戻っても、ガザのことがひと時も頭を離れませんでした。


 再びガザに行く機会を探るうちに約1年が過ぎ、2025年2月から3月にかけてアサド政権崩壊後まもないシリアで活動する機会を得ました。任務は首都ダマスカスで最大の病院の救急部門の立て直しと、研修医の教育です。長い紛争と経済制裁による封鎖状態だったシリア。病院の建物はボロボロで基礎的な医療機器もなく、経験豊富な専門医は国を出ているという状況でした。


 まず研修医たちに、救急部に欠かせないトリアージシステムについて教えました。トリアージとは、患者さんを先着順で診るのではなく、重症、中等症、軽症などに分けて、動線も分けて命の危機に瀕した患者さんを最優先で治療するというものです。研修医へのトレーニングを開始してから2週間後にはトリアージを臨床現場に導入し、ひたすら実践。試行錯誤を重ねた末に、私が現地を離れる4週目には軌道に乗り、ほぼ現地のスタッフだけでトリアージを運用できるまでになっていました。トリアージが機能すると、症状や容体に応じて診察順や担当する診療科が効率的に決まり、院内の動線も機能し、全ての患者さんにとって最適な形で治療を始められます。病院のスタッフも保健省も、混乱がなくなり、業務効率も格段によくなり、救命率も上がったと喜んでくれました。


 また、研修医に対する教育では、数週間で身に付けられる効果的な救命処置のトレーニングをいくつか行いました。一つは、骨髄穿刺(せんし)です。これは血管の損傷や大量出血により静脈路を確保できない重症患者さんの骨にドリルで穴をあけ、骨髄に直接、輸液や輸血、薬剤を投与する手技です。骨髄穿刺ができれば、患者さんの救命率を格段に上げられるのですが、みんな、その知識はあるものの、医療器材がなかったり、指導ができるような医師が国外に出てしまったりで実技経験がなかったのです。


 そこで、まずは骨に穴をあける専用ドリルをMSFの他のプロジェクトから借り、肉屋さんで買ってきた牛の骨を使って何度も練習しました。私のトレーニングした研修医たちは次第に、骨髄穿刺の仕方をお互いに教え合うようになっていました。その生き生きとして姿から、命を救う技術が着実に根付きつつあることがわかりました。「今のシリアなら、研修後、残っても良いかな」と言っていた研修医の笑顔が印象に残っています。ガザで見失いかけた、“その先”へつながる道筋がはっきりと見えた経験でした。前を向いて復興に取り組もうとするシリアの人々を、MSFとしてお手伝いできた。このことは、ガザでの活動以来、精神的に打ちのめされていた私の心の回復にもつながりました。


 ガザとシリアで幾度も聞いた言葉があります。「日本も同じだったよね。戦争でひどい状態になったのに、みんなで助け合って、いまは素敵な国になったんだよね」。最初に聞いた時は驚きましたが、幾度も言われるうちに、日本を「復興の希望」として見てくれていることに誇りを感じるようになりました。そして、人びとのこの期待に応えたいと強く思いました。ガザのような紛争地の人たちは「世界から忘れられている」という不安を抱えています。「手伝いに来たよ、一緒に頑張ろう!」と現れることで希望を持ってくれます。MSFが大事にしてきた思いは間違っていない、改めてそう感じました。


 シリアでいまも大勢の人の命を救っている骨髄穿刺用のドリルも、輸血や輸液のための針の1本1本も、皆さまのご支援なしには現地に届きません。それらの物資が命を救う場面を自分の目で何百回も見てきたからこそ、私はよく知っています。皆さまのおかげで、MSFの活動が成りたっていることを。温かいご支援に心からの感謝を申し上げます。一人一人ができることに取り組んで、一人二人じゃできない大きなことをみんなで実現する。それが国境なき医師団というチームです。私たちが必要とされなくなる、その日まで、おなじチームの一員として、継続的なご支援をお願いいたします。


  2025年12月


〔手書き文字で〕危機にある人々に寄り添い、

        医療を届ける仲間として

        来年も一緒に希望を繋げて

         いければと思います。

      国境なき医師団日本会長 中嶋 優子

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ガザが、シリアのような「復興の希望」が持てますようにと祈ります。

 
 
 

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